言い訳のエスカレートに爆発
いろいろ考えることが多い季節、それが秋ですね。
私は、久々に限界値マックスの説教を生徒の1人にする羽目に
約束を守らない、宿題をしてこない、自分からリクエストした提出物を出さない。
それなのに点数が上がらないという悲劇の主人公を演じるかのような言い回しに沸々と湧き上がるものを感じる私
この十日間で3回の指導が、この話で堂々巡りです。
一度は堪えてみました
この生徒のお父さんお母さんというのが、先日野村先生にガイダンスしていただいた方です。
お二人とも以前から進学準備されている事を知っている私には、かなり歯がゆくて仕方ありません。
そのため、一度はお父さんお母さんががっかりするような発言や行動をするなという注意で終わりました。毎回、説教で時間が過ぎるのは意味がないですし、、、、しかし
言っちゃった
話も終えて勉強を再開していると思い、勉強サポートに専念していました。
するとしばらくして、彼が私を呼ぶ声が、「学校の友達に、頑張っている割には点数が悪いから才能がないと言われたから、やる気になれないです。」
この時点で、私の我慢ゲージの上昇値は高くなっています。
ずっと問題に取り組んでいると思ったら、そのセリフを考えるために時間をかけてたと思うと、、、
ただ怒りをぶつけると、もはや指導ではなく、意味がなくなってしまいます。だから私も言葉を選びます。「この勉強という分野で専門家である私や、○○を長く見守っている親の意見は聞き入れないけど、自分と大して変わらない能力しかない同級生の言葉だけは信じるって何かおかしくない?」と
同じ120分の中で、答えや論点が180度二転三転するのが彼の特徴です。もはや、自分でコロコロ変えるセリフの無意味さに気づいていません。
よくこの子が私に話すセリフと、のちにご家庭で本人がコメントしたとするメールいただいた内容の違いに絶句することも多々あります。
地雷
この時点になると、才能とセンスというのが話のポイントではないのがわかります。ただ出来ていない、勉強をしなかったというレッテルを貼られるのを全身全霊で認めたくないことが見え見え。
確かに才能やセンスのようなものを感じさせる生徒はこれまでにいました。ただ、勉強には元となる知識というものは必要で、どんなに頭が良くても使う知識がなければ周りと大差は生まれません。考え方にしても、勉強とは違う行動で培った思考方法が勉強で機能するようになったということが多いです。
どうして、そういうことには考えが至らないのかという残念な気持ちでいっぱいでした。
やめとけば良いのに、彼は、またも最後にこう言いました。
「先生、ほかの高校生の先輩に聞いてほしいんですけど、周りに才能がある人がいたらやる気とか失くさないんですか?って、、、」
今度は周りを巻き込むの、、、
流石にブチっと
「才能もセンスもあって点数取れてる奴は、塾に来ない。みんなできないから努力してできるようになりたいから、この塾に通っている。努力をする気なくて楽したいなら、やめてしまえ!」
この破壊力あるセリフに、あたりは静かになりました。
ありがたいことに、親御さん自体は理解があるので、状況把握してくれて助かっています。
しかし、まだまだ本人が納得いってないようです。再戦は連発しそうです。ふぅ〜
結果を早く出したいという焦りは誰にでもあるでしょう。結局のところ、好きなことどれだけ時間かけて勉強してるつもりでも伸びず、苦手なことに意識して取り組まないと変化は生まれないです。この一点に気づくまで、私のスパルタは、続くでしょう。